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松山地方裁判所宇和島支部 昭和37年(ワ)42号 判決

原告 渡辺逸郎

被告 国

国代理人 大坪憲三 外二名

事案の概要

一、原告の請求原因の要旨

原告は、昭和三六年一月一日、訴外中川善吉との間に、同訴外人に対する貸付金債権の弁済に充てるため、同訴外人が同年六月三〇日に予定される退職に伴い支給を受くべき退職金債権見積額約二、〇〇〇、〇〇〇円のうち貸金債権相当額金九八五、〇〇〇円を譲受けることを約し、同訴外人から、勤務先宇和島郵便局分任支出官に対し、同年六月二一日付内容証明郵便により右債権譲渡の通知をした。

その後、同訴外人は同年六月三〇日付をもつて予定どおり退職し、同年七月一〇日退職金二、一八八、七二五円を同郵便局より支給を受けることになつたので原告は、譲受債権額の支払を求めて本訴を提起した。

二、被告の答弁の要旨

原告主張事実のうち、訴外中川善吉が宇和島郵便局に勤務していたこと、同訴外人より退職金債権を原告に譲渡した旨の通知があつたこと、同訴外人が同年六月三〇日付をもつて退職し、同郵便局より同年七月一〇日退職金二、一二五、四二五円の支給を受けることになつたことは認めるが、国家公務員等退職手当法に基づく退職手当金は、その性質上一身専属的なものであつてこれを他に譲渡することは許されないと解すべきである、と主張した。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、訴外中川善吉が大正一四年九月一四日付で愛媛県宇和島郵便局に採用され、昭和三六年六月三〇日付で退職したこと、及び同人の身分が郵政省に勤務する一般職に属する国家公務員として公共企業体等労働関係法の適用を受ける職員であることは、いづれも当事者間に争いがない。

ところで、公共企業体等労働関係法第四〇条第一項によると国家公務員法附則第一六条は適用されないことになつているから、労働基準法の規定は右郵政省に勤務する一般職に属する国家公務員に適用されるものであるところ、(原告訴訟代理人らは労働基準法の適用はないと主張するが、これは前記公共企業体等労働関係法第四〇条第一項の規定を看過しての立論であるから理由がない)労働基準法第八九条には「常時一〇人以上の労働者を使用する使用者は、退職に関する事項、退職手当その他の手当等に関する事項等について就業規則を作成し、行政官庁に届出なければならない」と規定され、これに基き郵政省就業規則(公達第一六号)が定められているが(両規則第一条にはこのことが明記されている)同規則第一一九条に、よると「職員が退職し、又は死亡したるときは国家公務員退職手当法(昭和二八年法律第一八二号)の定めるところにより本人又はその遺族に退職手当が支給される」と規定されている。

二、そこで、右退職金の性格について考えてみるのに、右規則で引用する国家公務員退職手当法においては、退職手当の支給につき、勤務成績等による自由裁量の余地は認められず、欠格事由がない限り、勤務年限に応じ一定の退職手当を支給しなくてはならないものと規定されているから、それは使用者の恩恵的な給付と解すべきではなく、過去の勤労に対する対価として支払われる給与の後払いの性格を有し、労働基準法第一一条にいわゆる賃金に該当するものと解するのが相当である。けだし、労働基準法第一一条は賃金を定義して「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対価として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」と規定しているから労働協約、就業規則、労働契約等によつて、予め支給条件の明確な退職金は同条のいわゆる賃金に該当するものと解すべきだからである。(労働基準局解釈例規=昭和二九年九月一三日発第一七号参照)

三、そうだとすると、退職金の受給権は、これを受ける者の一身に専属し、他にこれを譲渡することはできないもの解すべきである。何んとなれば、労働基準法第二四条は労働者の賃金(ここにいう賃金が同法第一一条の賃金を指すことは説明するまでもあるまい。)は直接当該労働者に支払うべきことを規定し、当該労働者以外の者に給付すべきでない旨を明かにしているからである。

四、原告訴訟代理人らは、退職金は民事訴訟法第六一八条の規定により差押えが可能であるから、差押可能の債権はこれを当事者が任意に譲渡することを禁止するいわれはないと主張するが、差押えが可能であつたとしても、だからといつて譲渡が可能であると断ずることはできない。何となれば、差押えを禁じたる債権は譲渡することを得ざる旨、或は債権が譲渡することを得べき場合においてのみ、差押えることを得るものなる旨を、定めたる法規の存在しない以上、凡そ債権には差押えを許さゞるも債権者の自由意思に基き処分することを防げざるものあり、また差押えることを防げざるも債権者において任意に処分することを得ざるもののあることは、これを否定するを得ないものであるところ(大審院昭和九年六月三〇日民四判昭和九年(オ)第五二〇号体系二六巻一一二二頁参照)いま、労働基準法にいわゆる賃金について考えてみるのに、労働者の賃金は、民事訴訟法第六一八条第二項によつて、一定の制限を超過する部分に限り差押えることを防げないけれども、同条がかかる規定を設けた所以のものは、主として労働者の債権者の利益を顧慮したるにほかならないものと解すべきであるから(前記判例参照)同条が差押えを許容しているからといつて、譲渡までも許容したものと解すべきではあるまい。換言すると、労働基準法にいわゆる賃金は、既に述べたように同法第二四条の規定によつて譲渡を禁止しているのであるから、他人に賃金を支払う結果をきたす差押えもまた許すべきではないが(民訴法第六一八条第一項)前記民事訴訟法第六一八条第二項の緩和規定があることによつて、始めて差押え(差押のみが)が許容されたものと解すべきものだからである。原告訴訟代理人らの主張は採用の限りではない。

五、訴外中川善吉の退職手当金債権が譲渡し得ないものであること前記認定のとおりだとすると、同人よりこれを譲受けたことを前提とする原告の本訴請求は、爾余の争点につき判断をするまでもなく理由のないこと明白であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 乗金精七)

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